インタビューアーカイブ

2021/5

“たすける側”と“たすけられる側”の壁をなくす 「こころのバリアフリー」とは?

東日本大震災での教訓を受けて、災害時要援護者・障がい者支援に取り組む自治体が増えています。障がい者に対する理解が進む一方で、自身も障がい当事者でありながら、障がい福祉・地域福祉の研究に力を注ぐ有賀絵理氏が問題視しているのは「障がい者はたすけられるだけの弱い存在である」という考え方です。非障がい者がもつ“障がい者はたすけてあげなければならない人”という一方的なイメージは、双方の間にある壁をより崩しにくくするものだと有賀氏はいいます。では、“たすける側”と“たすけられる”側の壁をなくすためには、一体どのような解決策があるのでしょうか。有賀氏が解決への第一歩として提唱している「こころのバリアフリー」についてお話をうかがいました。

有賀絵理氏

公益社団法人 茨城県地方自治研究センター 研究員

災害時に誰もが安全に避難するために
「こころのバリアフリー」を高めてほしい

前編はこちら

災害時要援護者・障がい者支援において、日頃から意識していただきたい心持ちとして私が提唱しているのは「こころのバリアフリー」です。一人ひとりがこころのバリアフリーを高めることで、誰もが安全に、安心して避難するための災害対策が可能になると考えています。

こころのバリアフリーとは、他人を「障がい者」・「要援護者」とカテゴライズをすることなく、「ヒト」として接することが大切です。例えば、避難時に身体障がい者を見たときに、「あっ、障がい者だ!」と思って敬遠したり、逆に必要以上に親切にしたりすることは、とても不自然なことだと思います。そうした思いや行為は、「ヒト」として接しているのではなく、「障がい者」という自分とは異なる「カテゴリー」としてしまう状態、つまり、こころのバリアフリーが成り立っていない状態だといえます。障がい者、非障がい者関係なく、お互いに、「たすけたい」という思いや、「協力できることはあるだろうか」という意識は相手に伝わり、社会全体のこころのバリアフリーは飛躍的に進展していくことでしょう。いかに、障がい者、非障がい者関係なく、相手の身になって考えることができるかが大切です。

「こころのバリアフリー」に欠かせない要素として、私が最近よく使う言葉に「人間力」があります。人間力とは人間味、心のあたたかさ、包容力など「心の知性の高さ」を使ってコミュニケーションをとる力です。

知識が豊富で優秀な人でも人間力が乏しい方がいます。「とても博識なのに、なぜこんなに意地悪なのだろう」や「技術は豊富なのに頑固でコミュニケーションがはかりづらい」、「肩書きは素晴らしいのに性格が残念だな」などといったイメージでしょうか。こころのバリアフリーは知識や情報だけでは成り立ちません。災害時のように「ヒト」と向き合わなければならないというときには、マニュアルや常識の範疇を超える判断を繰り返さなければなりません。知識量が多いことは素晴らしいことですが、たとえ知識量が乏しくとも、柔軟性があり、変化や違いに抵抗のない“人間力の高い人”が増えることこそが、こころのバリアフリーの促進につながると考えています。

 

こころのバリアフリーを意識し
人間力のある魅力的なヒトになろう

ある講演会で非障がい者の方から「我々健常者(非障がい者)は、障がい者について理解しないまま、無意識のうちに差別してしまうので、今後はこころのバリアフリーを意識していかないといけないと新しい発見ができました」と、熱心な感想をいただいたことがあります。しかし、こころのバリアフリーは、非障がい者だけの問題だけではありません。障がい者もまた、同様に意識すべきなのです。

障がいをもって誕生し、病院や施設に入り、常に守られた状態で生活してきた障がい者の中には、「たすけてもらうのが当たり前」という考えになってしまう人もいます。中途障がい者も同じように、大変な思いをしたのだから「支援してもらって当たり前」という気持ちが、知らず知らずのうちに生じてしまうこともあります。この「当たり前」という感情は、感謝する心や他人を思いやる気持ち、つまり「人間力」を低下させる大きな要因であるといえます。

障がい者自身が「たすけてもらうのが当たり前」という心持ちでいることで、非障がい者も自然と「障がい者は我々とは違う、たすけてあげなければならない弱い存在なのだ」と、こころのバリアフリーとは真逆の「こころのバリア」を増長させてしまうのです。

これはヘルパー職などが敬遠される理由にもつながると、私は考えております。職業が不人気である理由に関しては、給与や労働時間などの問題も大きいかもしれません。しかし、仕事に充実感ややりがいのある仕事であればどんなに重労働で大変なことが多くても、憧れを持ってもらえるように魅力を広めようという動きが活発化するはずです。なぜ世間的にヘルパーなどの職業は“大変そう”“私にはできない”“ストレスが多い”という暗いイメージばかりが定着しているのか。それは「障がい者である側の魅力が足りない」ということも障がい者に伝えたいです。

ただ、決して“たすけを求めてはいけない”ということではありません。人は誰もがたすけてもらいながら生きています。それを「たすけてもらうことが当たり前」とは思わずに、感謝を表現し伝えてほしいのです。お互いに“特別感”という意識ではなく、人として“たすけてもらう”“たすける”、そして“ありがとう”。それが、こころのバリアフリーが実現した社会の姿です。

もうひとつ、こころのバリアフリーに欠かせないのは、もっともっと障がい者が社会に進出していくこと。今の社会では、障がい者の制度をつくり、新しい取り組みを考える役割に就いているほとんどは非障がい者です。非障がい者が働き、福祉を考え、制度をつくって、支援をすることで、障がい者自身に、「障がい者は弱い立場にあるのでたすけてください」という考えをより助長させてしまう傾向があります。障がい者自身も共に考えていくことで、障がい者は自分自身の障がいだけでなく、他の障がいのことも考えることにより、社会を構成する一人という意識が上がってくると思うのです。さまざまな場面で“障がい者”が少ない世の中に疑問を抱いています。

非障がい者も障がい者も、お互いに認め合い、お互いにたすけあい、お互いに感謝の気持ちを持ち接すること。一人ひとりが人間力を高めながら、こころのバリアフリーを意識することで、災害時にたすかる命は増えるのだと考えます。

 

知識と経験をいかして手を差し伸べて
災害時、医療従事者だからこそできること

医療従事者の方には、医療従事者である以前に、ぜひ地域の一員として、地域でも知識をいかしていただきたいと思います。差別・敬遠せずに災害時要援護者や障がい者をたすけることは、知識のある医療従事者の方々にこそ可能な行動なのです。

たとえば災害時、誰もが不安なときに、医療従事者が「いかがですか」・「具合はどうですか」・「何かお手伝いできることありますか」などと声をかけてくれるだけで気持ちも救われたり、安心したりする人は多くいます。また、避難してきた方の表情や様子から、「精神疾患があるかもしれない」・「病気を持っているかもしれない」・「我慢しているかもしれない」などという判断もできるかもしれません。さらに、行政の方に、「Aさんは、このようにしたらスムーズに避難ができるかもしれません」・「個室を用意すればBさんの気持ちが安定するかもしれません」・「ご家族は一緒がいいかもしれません」などというように、専門性を活かしたアドバイスもできることでしょう。それぞれが持つ力を存分に発揮していただきたいです。

実際に東日本大震災後にも、医療従事者がいてくれたならば回避できたかもしれないトラブルは多くあります。たとえば、重度障がいがあるため避難物資を自力で受け取りに行けず、家族の負担増になったということがありました。ご両親が障がい者手帳を持って、重度障がいのあるお子さんの分も物資がほしいと行政にお願いをしたそうなのですが「直接受け取りに来た人の分しかお渡しできません」と聞き入れてもらえず、ご両親は“震災痩せ”をしてしまいました。もしもそのとき、避難物資の配布場所に医療従事者がいたならば、状況を聞き取りし、障がいの程度を把握し、「お子さんの分も配布してください」などと、行政に指示することができたかもしれません。医療従事者にしか理解できないことがあります。医療従事者だからこそ、理解してもらえることがあります。少しの声掛けや、言葉によって、大きくたすかる人がたくさんいるのです。

災害時、一般の方の場合、こころのバリアフリーを考える以前に、自分のことだけで頭がいっぱいになってしまうことでしょう。誰もが混乱している状況において医療従事者の説得力や影響力はとても大きいものがあります。その医療従事者の知識や経験は避難時の大切な資源です。ぜひ、自身の安全を確保した後、たすけを必要としている人に手を差し伸べてくださいませんでしょうか。

 

有賀絵理

公益社団法人 茨城県地方自治研究センター
研究員

自身の障がい当事者としての体験・経験を生かした研究をもとに、国内外問わず活動している。専門は「障がい福祉」「地域福祉」。著書に『災害時要援護者支援対策―こころのバリアフリーをひろげよう―』(文眞堂)。

SNSでシェアする